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今日は西暦8桁表示の日付「20190227」が素数の“由緒正しい”素数日で、しかも月日だけの「227」も素数とあって、素数遊び日和だ。
月と日の間に「0」累桁を施して素数の出現状況を見ると、50桁までの範囲で
(4)2027, (15)200000000000027, (27)200000000000000000000000027
( )内は桁数
の通り、3個と少なめであった。
月・日の分け目を無視して「22」と「7」の間に「0」累桁を施してみると、同じ範囲で
(4)2207, (11)22000000007, (15)220000000000007,
(16)2200000000000007, (17)22000000000000007,
(24)220000000000000000000007, (25)2200000000000000000000007
の通り、7個と多産であった。
数字の区切り方で素数出現状況に何らかの傾向があり得るのか、気になるところだ。たまたま目に
ついた 「199」の事例と比べてみた:
(5)10099, (7)1000099, (14)10000000000099, (15)100000000000099,
(17)10000000000000099, (18)100000000000000099,
(20)10000000000000000099
(5)19009, (7)1900009, (19)1900000000000000009,
(28)1900000000000000000000000009
「227」の場合と同じような傾向が見られる。これが一般的傾向であるなどとは到底言えないが、別の事例「1223」を出してみよう:
(5)10223, (8)10000223, (9) 100000223, (10)1000000223,
(12) 100000000223, (16)1000000000000223,
(26)10000000000000000000000223
(5)12203, (9)122000003, (15)122000000000003,
(22)1220000000000000000003
やはり同じ傾向だ。
面白そうだが、経験によれば、これは全く偶然の結果であって、事例数を増
やせばどうなるか分かったものではない。兎に角もう少し調べてみよう。
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先週は慌ただしい一週間だった。生涯学習フェアの直前リハと本番、義母の告別式、施設訪問コンサートが続き、その間に憩室炎を発症して医者に駆け込んだりした。
憩室炎は初めてだったが、家人が何回か経験していて、ほぼどんな病気か承知していたから不安は無かった。深夜の発症で、医院の開店まで痛みをこらえるのは一苦労だった。薬剤を服用して1時間も経たないうちに痛みが消えて楽になったのはちょっとした驚きだった。
もっとも、憩室炎の自己申告及び診断が当たりかどうかは、血液検査の結果を見ないと解らないそうだが。
告別式は、当初は無宗教での家族葬ということで、極めて簡素なものを想定していたところ、実際には、規模は小さいものの、形式としては通常の仏式葬儀とほとんど変わらないものになった。汗を流さずに口先介入する親戚筋の声に押されたためだ。
当方の想定された役割は音楽葬としての仕切り役だったが、会葬者が親密な仲間で集まって内輪の思い出話に興じたため、殆ど出番は無かった。出棺の際に個人の好んだ「千の風」と「涙そうそう」の斉唱の音頭取りを務めただけであった。
用意した音源CDと式場のプレーヤの相性が悪かったのか、「千の風」は無伴奏となった。歌い出しのピッチを出まかせに取ったところ、やや高過ぎたようで、皆さんには迷惑を掛けたようだ。「涙そうそう」は余り馴染みが無かったので、皆さんによる成り行きに任せた。
万全とは行かなかったが、歌による見送りは評判が良かった。読経の僧の声も見事で、単に職業柄という以上の聴き応えがあった。その僧が、当方の歌いっぷりにも“プロの方ですか?”と賛辞を呈してくれたのは意外であり、社交辞令と判っていても、嬉しくもあった。
“いやいや、お坊さんの美声には遠く及びませんよ”との返礼を計算して水を向けたのかも知れない、とは勘ぐり過ぎか。
音源CDと歌詞カードには約十曲収録していたので、不謹慎ながら、音楽葬のつもりで臨んだ当方には、些か消化不良の憾みが残った。BGMに用意した故人ご贔屓のヴァイオリニストの演奏も特に皆さんの耳には響かなかったようだ。
月例コンサートで訪問していた老人ホームの担当者から、三月以降のコンサート再開のスケジュールについて問い合わせを受けたが、全く見通しが立たない。ピアニスト確保の問題など依然解決できていないのだから。燃え尽き症候群の観もある。なし崩しに足を洗うことになりそうだ。
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図書館から借りたピエール・ルメートル/著「天国でまた会おう」(平岡敦/訳 早川書房 2015.10)を読み終わったタイミングで、その原作(Au revoir la-haut)の映画化の話題が今日の朝日新聞夕刊に載っていた(p.3)。
どんな書評に誘われて新刊でもない本書を読もうと思ったのか全く思い出せない。売り手側の内容紹介は次の通り:
≪膨大な犠牲者を出して、大戦は終わった。 ≪1918年11月、休戦が近いと噂される西部戦線。上官プラデルの悪事に気づいたアルベールは、戦場に生き埋めにされてしまう!そのとき彼を助けに現われたのは、年下の青年エドゥアールだった。しかし、アルベールを救った代償はあまりに大きかった。何もかも失った若者たちを戦後のパリで待つものとは―?『その女アレックス』の著者が書き上げた、サスペンスあふれる傑作長篇≫
カタカナ人名の氾濫で読みづらいのは我慢するとしても、決してわくわく、どきどきしながら貪り読むような面白い内容ではなかった。我が性癖で、随所飛ばし読みであった。それによって本書のエッセンスを汲み取り損なったとも思われない。
しかし、結局本書が読者に訴えたかったのは何か、さっぱり解らなかった。戦争の非人間性などという単純な問題意識ではない筈だ。むしろ、人の心の不条理を描いた小説なのかも知れない。当方のような唯物論者には向かないということか。
印象に残ったのは、情景描写に“匂い”あるいは“臭気”が頻出することだ。香しさではなく、不潔な体や衣服などから発する悪臭への言及が非常に多い。戦地で消耗品のように朽ちて行く兵士の遺体や貧困の極みに這いずり回る下層民が重要な役割を持たされる筋書きとあっては、致し方ないとは言えるが。
国家から報われることの無かった帰還兵二人が政府や社会への復習として仕組んだ詐欺は、二人に大金をもたらしたが、一人は復習相手の一翼である実父の車に撥ねられる事故で死に、もう一人は愛人を伴って外国に逃避を遂げるという結末にはどんな意味が込められているのか。
映画化とは、必ずしも原作の忠実な視覚化ではないだろうが、それにしても、砲弾で砕け散る人体、下顎を吹き飛ばされて奇跡的に生き延びた兵士の顔など、画面でどのように扱うのだろうか。特に、顎無し帰還兵は主役の一人であり、その容貌が話のアクセントになっているから、処理が難しそうだが。 |
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今や当会の、“ちゃんとした”音楽ホールでの唯一の演奏機会である文京区生涯学習フェアの今年の本番を昨20日無事に終えた。メンバー全員がいわゆる後期高齢者となり、歌唱力の衰え覆うべくも無く、いつまで続けられるか危ぶみながらここまで来た。
そろそろ潮時ではないかと皆さんの顔色を窺うと、不思議に継続の希望が帰ってくる。来月以降、新たな方針の下、月2回の例会を持つことに合意が成った。何もかも当方に一任と言う従来の方式は廃し、常に合議により計画を進めることとした。上手く行くかもしれない。
今回の演奏プログラムは次の通り:
弘田龍太郎の四季
小諸なる古城のほとり
鯉のぼり
雨
お盆が来るから
雲に寄せる
秋の山
浜千鳥
春よ来い
文京区歌
幾つかの曲には改変を施した。
練習は4回しか行えなかったため、当初計画した合唱形式を仕上げられず、諦めて斉唱方式にした曲が多い。その穴を埋めるように、当方の勝手なハモリなどを盛り込んだものもある。綱渡りの気分でもあった。
「小諸なる古城のほとり」が途轍もない難曲であることを思い知った。それでも何とか歌うことが出来たのは、メロディーを聴き覚えていたことに拠る。白紙の状態でピアノ伴奏で練習していたら、歌えるようになるまでに何か月を要しただろうか。
本番斉唱では、やはり、4名のタイミングのずれが目立った。素人衆には、当初方針通り節目節目での受け渡しによる“分唱”方式が良いのかも知れない。常識はずれのアイディアに対する拒絶反応を呈する向きの多いことは覚悟の上で。
パッとしなかった今回の発表であるが、「浜千鳥」四重唱には盛大な拍手を頂いた。予想通りだ。と言っても、功績はソプラノで特別参加してくれたピアニストさんのものである。当方のテノールも結構いい線を行ったと自己満足している。「文京区歌」で急遽試みたオブリガートも録音を聴く限り、悪くない。単調な斉唱に終わらなかっただけでも成功だった。
ピアニストさんは「秋の山」を気に入った曲だと言う。昔風の素朴な唱歌だと思うが、美しい曲だとのことである。発掘して紹介した甲斐がある。 |

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今日は素数日なので、関連のメモを記しておきたい。
≪2019年2月の素数日付≫
西暦8桁 20190221, 20190227,
西暦7桁 2019211, 2019217, 2019223, 西暦6桁 201923,
皇紀8桁 26790221, 26790223,
皇紀7桁 2679211,
皇紀6桁 267929
和暦6桁 310223,
和暦5桁 31219, 31223,
和暦4桁 3121,
月日だけの 217 は 7×31 と因数分解される。月と日との間に「0」累桁法を適用して素数を探索すると (4)2017,(6)200017,,,,, と現れる。 素数とならず因数分解される桁においては何がしかの擬周期性らしきパタンも見え隠れする。その検証は後日の楽しみとするが、次のような面白い例を見付けた:
因数分解 (13)2000000000017 = 181×11049723757 に現れる素数「181」に「8」の累桁法を適用すると
(3)181, (9)188888881, (15)188888888888881 の素数列が得られる。桁数列 3 9 15 は擬周期「6」を示唆する。中間の桁においては因数分解のパタンが見受けられるので、素数が現れるとすれば、擬周期「6」で3 9 15 の延長上にあると推定された。
この推定に基づいて検算した結果、(93-6), (129-6), (885-6)で素数を得た (「-6」は擬周期「6」の適用を示す)。当方の利用できる検算具では1000桁が限界である。
単純に作業を続ければ、いくらでも大きな素数が得られるのではないかと想定される。ただし、何桁目でヒットするかは予測できないから、アホみたいな作業になる。それでも、メルセンヌ素数で巨大素数を探索する高級な作業と本質的には差は無いように思う、と言うか、思いたい。
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